洋一さんとの一日
色々とあって全然更新できなかった。2020年の2月、ミラノはヨーロッパにおけるコロナ感染の中心地となってしまった。一生忘れられない経験をすることになった。時期が来たらゆっくり振り返ろうと思う。ということで2020年の5月に日本に帰国し、留学を終えることにした。以下は日本でのお話。
自転車に乗って去っていく洋一さんを見えなくなるまで見送った
今日は恩師であるS先生と渋谷近くでお会いして、2時間ほどゆっくり話した。かれこれもう7年のお付き合いになるけれど、実は先生ときちんとお話ししたのは数回ほど。それなのに僕の人生はとても豊かになった。
藝大の院にかろうじて合格した22歳。学部時代は僅かな才能を騙し騙し使ってどうにか乗り切ったが、案の定それもここまで。書く作品はことごとく酷い作品ばかり。コンクールも落ちて作曲も辞め時かなと思っていた。人間的にも腐り切っていた。そんな腐る息子を心配してか、親の勧めで「秋吉台作曲セミナー」に行くことに。その時初めてS先生とお会いした(セミナーへは湯浅先生目当てで行ったので、S先生が講師でいらっしゃることすら知らなかった)。
改めて人の出会いとは不思議なものだと思う。「見た瞬間に電気が走った」なんていう言葉があるけれど、あの時の感覚はそれに近いものがあった。なぜか「S先生と話さなくちゃいけない」と思った。あんな感覚は後にも先にもこの一度だけ。その時どんな話をしたかは、今ではもうよく覚えていない。ただ「そんなに悩んでるんだったら一度ミラノに来てみれば?」という言葉ははっきりと覚えている。そこから色々なことが少しずつ変わっていった。
初めて海外に行き、変な曲だったけれどコンクールに入賞し、だんだんと演奏機会も増えていった。なんとか文化庁の2年派遣制度を獲得し、いよいよミラノでの留学開始直前、なんと毎年S先生が指揮をされている芥川作曲賞にノミネートされた(今考えると出来過ぎ)。ただ芥川作曲賞は厳しかった笑 尊敬する渡辺さん、岸野さん、今や日本作曲界の大スターである坂田さんの作品と並んでお気楽な久保作品が演奏されたのは失笑感があったし、S先生に振っていただいた最初の曲があの作品だったのは少し残念だった。今となってはいい思い出です。
そんなこんなでバタバタしながら、ミラノでの留学がスタート。この2年間は本当に充実した時間だった。良い環境で伸び伸びと多くのことを学び、良い経験をたくさんした。一生の財産。まあコンクールの審査員がS先生だったり、演奏してくれたアンサンブルの創設者がS先生だったり、イタリアの音楽祭での初演機会をS先生からいただいたりと、以前にも増しておんぶに抱っこ状態だったけれど笑ミラノがヨーロッパのコロナウイルス感染の中心地となってしまった時期もS先生にはとてもお世話になった。心強かった。
今日はS先生と昨日の演奏会について、2年間の留学の話、今後の音楽について、来年度からの仕事について等、取り留めもなく話した。話をしている時はそう思わなかったが、帰りの電車でふと「一つ区切りがついたな」と思った。S先生からの卒業のような感じがした。幸運なことに来年度から教育に携れることになった。僕が日本の音楽業界に貢献出来る事など大して無いけれど、それでもS先生のように人に音楽に誠実に向き合える人であり続けたいなと思います。「誠実さは力」を体現するような人にお世話になったのだから。
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