室谷章 先生
私の初めての作曲の師である室谷章 先生が2021年10月21日に急逝されました。享年50歳でした。お加減が優れないという話は伺っていましたが、まさかこれほど早いお別れになるとは。ご逝去の報に接し、心からご冥福をお祈りいたします。本当に寂しいです。
室谷先生と初めてお会いしたのは小学四年生の時。家の近くに東京藝大卒の先生がいらっしゃるとの情報を得た母に連れられてのことでした。そう思うとかれこれ20年のお付き合い
先生は僕が作品を発表する際は必ず駆けつけてくださって、大学の選抜コンサートでは「成長しましたねえ」としみじみと話してくださったり、日本音楽コンクールで一位を取った際は「出藍の誉れ」とブログに書いてくださいました。恥ずかしながら「出藍の誉れ」という言葉は知らなかったのですが、後日意味を知って心が温かくなりました。自分自身も教育に携わる立場となった現在、その言葉を自然に生徒に言えるような教師でありたいと思います。
室谷先生は地元である埼玉県鴻巣市にある田間宮生涯学習センターで毎年ソロリサイタルを行ってらして、今年で17回目でした。16回目ではフランクの傑作『前奏曲とコラールとフーガ』を演奏され、最後となってしまった17回目では(僕の留学先である)イタリアのカンツォーネをテーマに演奏会を構成、またイタリア料理に因んだ新作を発表されました。今思うとなんだか弟子への最後のメッセージのように感じます。先生はこのコンサートをとても大事にされていて、後日ブログで「およそ半年をかけて準備をしてきた夢のような時間も、終わってしまえば本当にあっという間でした。演奏している最中、幸せを感じていました。人前で演奏できる、発表できる機会が、また続いていくとうれしいです。」と振り返ってらっしゃいました。
上の動画は演奏会の最後、アンコールで弾かれたオリジナル曲「6月の舟歌」の演奏です(アンコールは撮影可でした)。室谷先生らしいピュアで音楽の喜びに溢れた素敵な作品と思います。本当にただただ音楽が好きで、ピアノを弾くのが、即興するのが大好きな先生でした。
P.S.
あともう少し時間があれば師弟を超えて、友人になれるような気がしていました。「今度ゆっくりご飯をしましょうね」と言ってくださった事、忘れませんよ。とっても楽しみにしていたのに。もっと色々お話ししたかったです。またいつかお会いしましょう。
室谷先生と初めてお会いしたのは小学四年生の時。家の近くに東京藝大卒の先生がいらっしゃるとの情報を得た母に連れられてのことでした。そう思うとかれこれ20年のお付き合い
だったんですね。父の転勤で引っ越すまでの2年間、楽典や和声、楽式論、音楽史等を幅広くご指導いただきました。しかし元々要領が悪いのと、正直当時は作曲にほとんど興味がなかったため恐ろしく出来が悪く、かなり怒鳴られた事も。レッスン後はよくお茶やお菓子を出してくださったのですが、ボロボロお菓子のカスをこぼしながら食べる先生に子どもながらに変わった人だなと思ったりもしました(笑) 懐かしい。
その後、転勤で別の先生に指導いただくことになった後は、小学生だった事もあり、母が連絡を取り合う、たまにコンサートに伺う程度の関係となってしまったのですが、転機は東京藝大の附属高校に入学後少し経った頃に訪れました。
当時僕は附属高校に入ったは良いものの、優秀過ぎる後輩、同級生、先輩方の輝きに押し潰され毎日が重く苦しい日々を過ごしていました。ギリギリまで追い詰められた後(どういう契機でそうなったのかは忘れてしまったけれど)、その事を室谷先生に相談したのです。その中で室谷先生ご自身も藝大附属高校、大学で大変苦労された事、C.フランクの作品に惹かれて懸命に作品を研究された事、苦しくても諦めてはいけない事・・・様々な話をしてくださいました。帰宅後、不思議と明るい希望を見出してC.フランクの有名な『ヴァイオリンソナタ』を聴いた事が忘れられません。フランクは今でも大好きで今でも影響を受けている作曲家で、僕の音楽の大きなルーツとなっています。
先生が背中を押してくださったお陰で音楽への情熱を取り戻し、高校の3年時の卒業演奏会に納得のいく作品を出品できたし、現役では難しいと言われた大学受験もなんとかクリアする事が出来ました。
日本音楽コンクール時に撮ったツーショット。
その後、転勤で別の先生に指導いただくことになった後は、小学生だった事もあり、母が連絡を取り合う、たまにコンサートに伺う程度の関係となってしまったのですが、転機は東京藝大の附属高校に入学後少し経った頃に訪れました。
当時僕は附属高校に入ったは良いものの、優秀過ぎる後輩、同級生、先輩方の輝きに押し潰され毎日が重く苦しい日々を過ごしていました。ギリギリまで追い詰められた後(どういう契機でそうなったのかは忘れてしまったけれど)、その事を室谷先生に相談したのです。その中で室谷先生ご自身も藝大附属高校、大学で大変苦労された事、C.フランクの作品に惹かれて懸命に作品を研究された事、苦しくても諦めてはいけない事・・・様々な話をしてくださいました。帰宅後、不思議と明るい希望を見出してC.フランクの有名な『ヴァイオリンソナタ』を聴いた事が忘れられません。フランクは今でも大好きで今でも影響を受けている作曲家で、僕の音楽の大きなルーツとなっています。
セザール・フランクの写真。一時期写真をプリントアウトしてお守りにするくらい崇拝していた。
先生が背中を押してくださったお陰で音楽への情熱を取り戻し、高校の3年時の卒業演奏会に納得のいく作品を出品できたし、現役では難しいと言われた大学受験もなんとかクリアする事が出来ました。
先生って可愛らしい方でしたよね。
先生は僕が作品を発表する際は必ず駆けつけてくださって、大学の選抜コンサートでは「成長しましたねえ」としみじみと話してくださったり、日本音楽コンクールで一位を取った際は「出藍の誉れ」とブログに書いてくださいました。恥ずかしながら「出藍の誉れ」という言葉は知らなかったのですが、後日意味を知って心が温かくなりました。自分自身も教育に携わる立場となった現在、その言葉を自然に生徒に言えるような教師でありたいと思います。
田間宮生涯学習センター
室谷先生は地元である埼玉県鴻巣市にある田間宮生涯学習センターで毎年ソロリサイタルを行ってらして、今年で17回目でした。16回目ではフランクの傑作『前奏曲とコラールとフーガ』を演奏され、最後となってしまった17回目では(僕の留学先である)イタリアのカンツォーネをテーマに演奏会を構成、またイタリア料理に因んだ新作を発表されました。今思うとなんだか弟子への最後のメッセージのように感じます。先生はこのコンサートをとても大事にされていて、後日ブログで「およそ半年をかけて準備をしてきた夢のような時間も、終わってしまえば本当にあっという間でした。演奏している最中、幸せを感じていました。人前で演奏できる、発表できる機会が、また続いていくとうれしいです。」と振り返ってらっしゃいました。
「6月の舟歌」
上の動画は演奏会の最後、アンコールで弾かれたオリジナル曲「6月の舟歌」の演奏です(アンコールは撮影可でした)。室谷先生らしいピュアで音楽の喜びに溢れた素敵な作品と思います。本当にただただ音楽が好きで、ピアノを弾くのが、即興するのが大好きな先生でした。
P.S.
あともう少し時間があれば師弟を超えて、友人になれるような気がしていました。「今度ゆっくりご飯をしましょうね」と言ってくださった事、忘れませんよ。とっても楽しみにしていたのに。もっと色々お話ししたかったです。またいつかお会いしましょう。
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