徒然なるままに。。。

まったく作曲をはじめてからというものの、才能がないことに悩み、ようやくちょっと軌道に乗ったと思ったらなんのためにやっているのか分からなくなり、他者との比較で落ち込み、再び才能の無さに愕然とし・・・という同じ負のループをまわり続けている。頭では音楽表現に優劣はないと分かっていながらも、相変わらずそうした考えを払拭することが出来ない。自己愛が強いというか、勝手というか情けない。

すごく可愛く撮れた家主さんの猫の図

ただ、ここ数年は「自分の人生を豊かにするために作曲をする」と心を決めたおかげであたふたすることは少なくなった。色々と失敗したおかげで他者の表現に純粋に興味が持てるようにもなった。そのせいか最近は音楽外でもその人が持つ良さを無意識に探すようになって、周りから「久保さんは人を褒めていないと死ぬ病」と呆れられている。確かにそんなに人を褒めてばかりいたら安っぽい人だと思われるか笑

才能についてもこれまではまだ若いし、まだ10代だし、まだ20代そこそこだしで言い訳できたけれどついにアラサー。もう言い訳ができない。こんなにプー太郎なおじさんになってしまうとは。くそう。

作曲の気晴らしにミラノで一番有名な美術館ブレラ絵画館へ。いい作品がたくさんあった。

うっすらと感じてはいたが、特にこの1年は作曲の成長速度が目に見えて落ちている。しかも刺激の多い留学時なのに。「作曲家は10年良い曲を書ければ一流」というのをどこかで読んだがまさにその通りで、若い時、学生の時は若さや、青春パワーでそれなりに曲は書けてしまう。なぜ曲がつまらなくなってしまったのだろう、なぜ作曲のスタイルを変えてしまったのだろうと思った人も過去いたが今はどういうことか分かる。人は同じままではいられない。

もともと桃が好物だったが最近蟠桃(Pesca tabacchiera)にどハマりして毎日2つ以上食べている。
イタリアの桃は安くて美味しい。

いや正確には曲がりなりにも成長はしてるものの、その割にアウトプットが出来ないジレンマと言うべきか。原因は2つ考えられて1つは心に余裕がないこと。慣れない異国のストレスと漠然な将来への不安とでどうにも落ち着いて作曲が出来ない。今は作曲をすることで自分を鼓舞=現実逃避している感がある。留学で失敗しすぎて感性が保守的になってしまってもいる。

もう1つは社会の中で生きていないこと。別に作曲で食べていかなければということではなくて、まともに社会で生きたことがない。ずっと人のお金で勉強を続け、作品発表をしてきた。作品発表と言ったって所詮コンクールや教育プログラムの中での話。そこには何の責任もないし、世に問う物がないお気楽なもの。音楽は音を通した社会とのコミュニケーションだが(現代音楽にその機能があるか否かはとりあえず置いておいて)、そもそも社会とは何かすらよく分かっていない人間ではアウトプットも貧弱になるというわけか。「君の本格的な創作は帰国後だ・・・ヒヒヒ」という師匠の言葉が思い出される。

ポケモン自己分析。カイリューは一番好きなポケモンだから嬉しいわ。
クレバーで❌聞き上手な❌相談役タイプ❌。基本的にコミュニケーション力が高く❌。残念ハズレ。

教育に興味があるので(そもそも人に教えるには本場の音楽を知っておかなきゃと思ったのも留学した理由)、帰国後は教育活動に何らかの形で関わりたいと思っている。さてどうしたもんだ。教えられるほどの能力がない。まだまだ学んでいたい。でもそう遠くない未来、そうした気持ちを割り切らなければいけない。つくづく30歳手前というのは中途半端な年齢だ。

ある人が「そのときそのときの気持ちに素直になって選択していけば、きっと道は開かれていく」と言っていて衝撃を受けた。確かに周りの尊敬する音楽家はそういう人が多い。そういう強き心こそが音楽家になれる必須条件というか、音楽家になるための特殊能力、才能な気もする。いつの日か僕も持てるのだろうか。

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