新年になって

年末年始は、長野に転勤していた頃にピアノを師事していた恩師が夫妻でミラノへ遊びに来てくださった関係で、一緒に観光したりご飯食べたりと一年を振り返る間も無くあれよあれよと過ぎていった。家主さんが夫妻に寝室を貸してくださったおかげで短いながら共同生活ができたのも楽しい思い出(それにしても家主さんとお隣さんはには、昨年かなりお世話になってしまった。ありがたいことです)。おかげで僕もとても楽しい年末年始を過ごせた。

夫妻のミラノ旅♪

しかし、年を明けてからどうにもやる気というかパワーが出ない。たぶんミラノでの生活、学校での授業が少し落ち着いてきたことで気持ちが切れたのだと思う。こちらに来て3ヶ月。ダメ男なりに頑張ったかな。自分の人生を変えたくて24歳で初めて海外へ行った時のこと、初めてマンカ先生に英語でレッスンしていただいたこと。あの時のひ弱な自分を思い出すと、未だに留学できていることが信じられない。

そんなこんなで再スタートを切るためにも、月並みではあるが2018年を振り返りたい。いくつか記憶に残ることがあるがやはり去年は常に頭の中に「留学」の文字があった。文才がないので以下箇条書き。

・さぬき映画祭
「さぬき映画祭」のオープニング上映作品への楽曲提供を行うことができ、念願の映画音楽を作曲することができた。演奏を担当してくださった瀬戸フィルハーモニーとの温かい関係は忘れることのできない深い思い出。

終演後の様子

映画祭の後は少し香川を周り、四国88箇所の1つである善通寺で留学祈願をめい一杯する。きっと大丈夫と背中を押されたようだった。やはり香川は僕にとって特別な場所と再確認。

実は所縁がある善通寺

・奨学金関連
文化庁派遣制度への応募。案外去年はこれが一番大変だったかもしれない。履歴書、研究計画書、自己アピール、面談と慣れないことばかり、そして採用されなければ留学が白紙になる恐怖から最終通知が来るまで生きた心地がしなかった。採用に至るまでに、師匠である小鍛冶先生にはお世話になりっぱなしだった。このことだけではないが一生の恩と思う。ニヒルな笑いの裏には深い愛情がある・・・・かな笑

僕が産まれた虎ノ門に文化庁の面談をしに行くとは人生は不思議だ。

・芥川作曲賞選考演奏会
芥川作曲賞は僕にとって、ある意味作曲家人生を変えた特別な意味合いをもつ賞だった。尊敬する女性作曲家が芥川作曲賞にノミネートされてから3年経っただろうか。その作曲家の個性、才能には驚かされたし、天才とはこういうものだと教えられた。圧倒されたし、一方でもちろん悔しさもあった。この3年間はその影響から脱して自分を探す時間だった。

サントリーホールで自作が聴ける幸せ

結局今回芥川作曲賞には届かなかったが、それはあまり問題ではない。それよりも少しでも僕の個性を同じ時間、空間に響かせることができたということが純粋に嬉しかった。大泣きしていた。何か1つの出来事が、1つの時代が終わるような感慨深い時間を過ごした。

・ミラノ音楽院の入試
コンクールの余韻に浸る間もなく、急ぎミラノへ飛ぶ。いやはや空港から駅に行くチケット購入の時点で語学は撃沈。全然通じないじゃないか笑(実際は全然笑えなくて頭がクラクラしてしまった)!不安なスタート。

ついに来てしまったと緊張しながらパシャリ

入試料支払いや手続きを何が何だか分からないままなんとか終え、いよいよ第一関門の語学試験。ミラノ音楽院では語学試験をパスできないと実技試験には進めないのだ。集合から一時間外に待たされながらも、ようやく筆記、リスニングの試験が始まったがなんだこれは!!!!過去問とレベルと違いすぎる!!!!頭が真っ白になるとはこういう時のことを言うのだろう。冗談抜きで全くわからない。「ああ終わった。来年また来よう。ああでも文化庁派遣とかどうすればいいんだろう。師匠に顔向けできないな。ああ・・・・。」などと5分くらい絶望しながらもなんとか切り替えて回答。

午後は口述試験。周りの話を聞いてみると口述試験では筆記試験の点数をまず最初に見せられて、どうだったか答える鬼スタイルのよう。しかしだ。なんと僕は点数については聞かれず(酷すぎて)、先生は誰かとか今までの経歴を話して終わった。足取り重く帰宅。2日後にネットで語学試験の結果が発表され、なんとか通過したことを知る。結果を見る際に緊張のあまり過呼吸に。今でもよく通ったなと思う。

最終合格証明!

1週間後いよいよ実技試験。イタリアの師匠、マンカ先生は優しくて試験前に僕と会ってくださった。そこで新事実発覚。なんと作曲の試験会場にマンカ先生はいないと言うのだ!何かあっても先生がフォローしてくれるだろうと淡い期待をしていたのだが速攻で崩れ去った。まあ集合時間から3時間ほど待たされたおかげでその動揺は消えたが笑 途中マンカ先生から「まだ始まらないのか。よし、コーヒー飲みに行こう!」と誘われて丁寧に断ったのは良い思い出。実技試験はこれまでの楽譜を見せて、学士を持っていることを話してあっという間に終わってしまった。色々とこの日のために準備してきたことは全然役に立たなかった。なんという力不足。いやこうやって文字化するとあまりのダメ男っぷりに書いている自分が落ち込む。文字化するって大事ですね。とにかく3日後くらいに最終発表があり、ようやく念願の留学をスタートさせることに。

晴れて母校に

・壮行会
ビザ発行のために2週間一時帰国。合格した事を先生や友達に伝えたり、会いたかった人と議論したりと楽しい時間を過ごした。一番嬉しかったのは家族が開いてくれた壮行会。父が祝いの挨拶をした後皆で乾杯。この歳になっても僕を自由に勉強させてくれる家族。いつも演奏会に忙しい中来てくれる家族。世の中こんなに応援してくれる家族は果たしているのだろうか。僕がこのまま作曲を続けることはいわゆる「安定した生活」という形での親孝行はできない。が、この留学は家族の喜びにもなっているかなと思えた束の間の食事だった。出発の朝、空港にも家族総出で来てくれたのも嬉しかったな。案の定、母と息子は大号泣笑 家族、友達との別れ、先生への感謝、留学への期待と不安、色々な想いが込み上げた。

出発の前日、すき焼きを家族みんなで食べる。賞味期限切れのカールを添えて笑

・ミラノでの友達
友達と言っていいのか分からないが、ヨーロッパ人と一緒に帰宅したりご飯食べたり思ったよりわいわいすることができた。特に優しかったのはスペイン人のギュレルモで、たどたどしい会話ながら一緒に入学式に行ったり、3時間ほどレストランで現代音楽について話したりといい思い出がたくさんある。レストランからの帰り道、異国でも一人ぼっちでない事を知って少し潤んだ。昨年自分は泣きまくってるじゃないか笑

全部は書けないけれど、こうして振り返ると充実した2018年だった。色々な人に支えられてここまで来ることができた。幸せ者です。なんだか今年も頑張ろうと思えてくるから記憶は面白い。うまくいかないこともあるけれど、今までの経験が助けてくれる。きっと良い一年になるし、そうしていきたい。頑張ります。

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