コロナ禍 a Milano
平成30年度、文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修員に選抜され、イタリアのミラノ音楽院に2年間留学する事になった。1年目をどうにか終え、元号が代わった後しばらくして、中国で新型ウイルスが猛威を振るっていることをニュースで知った。2月中旬、「日本でも感染者が増えてきたね」と心配してくれるクラスメイトと立ち話をしながら冬休み前の最後のレッスンへ向かう。新作オーケストラの譜面をManca先生に見せ「哲朗もだいぶ作風を変えて、個性が出てきたよ」と言われたのが対面での最後のレッスンとなった。冬休みにパリの現代音楽祭に参加した後、ミラノへ戻るとあれよあれよと状況は悪化し、ついにミラノはヨーロッパにおける感染の中心地となってしまった。学校は早々に休校となり、スカラ座・教会・飲食店・レストラン、果てはイタリア人の命とも言えるバール(イタリアの軽食喫茶店・酒場)までもが閉鎖され、ミラノはさながら死の町のように静まり返っていた。久しぶりに買い物で外出した際、普段生き生きとしたイタリア人たちの目が暗く生気を失っていたことが今でも忘れられない。
3月には、留学当初より生活面や滞在許可証の書き方等いつも親身に手伝ってくださった恩人のお身内がコロナ・ウイルスの感染により亡くなられたことを知った。これほど死を身近に感じたことはなかった。スーパーへ出かけるだけでも外出理由を記入した用紙を持っていなければならず、日常生活もままならない苦しい状況が続いた。とは言えイタリア人は底力があり、しばらくするとベランダで毎日音楽や歌声が鳴り響くようになり、学校も早くも3月半ばにはオンライン授業をスタートさせた。驚いたのがイタリア人の何人もの友人がよく連絡をくれて「一人じゃないよ」「日々の生活は問題ない?」「あなたのために毎日お祈りしてるわ」と励まし続けてくれたことで、イタリア人は裏表のない素敵な人々だと改めて感じた。こうしたイタリア人の優しさがなければ僕は留学を続けられなかったかもしれない。
コロナ禍のため予定より早く留学を終え、帰国してしまったのは残念だったが、1年7ヶ月に渡る留学生活は本当に素晴らしい経験に満ち溢れていた。1年目からイタリアのみならずスペイン、オランダ、ポーランド、ドイツ、フランスの多くの都市の音楽祭に参加し、作品を発表することが出来たし、何よりレベルの高いヨーロッパの音楽環境に身を置けたことは今後の作曲家人生の大きな糧となる。ヨーロッパで過ごす中で感じたのは彼らがいかにクラシック音楽、もっと言えば現代音楽を大事にしているかだった。例えば私が留学していたミラノでは毎年2ヶ月間にわたって現代音楽祭「Milano Musica」が開催されており、スカラ座をはじめとしてミラノ中の劇場・ホール・美術館・プラネタリウムなどで公演が行われている。毎公演チケットが取れないほどの人気で、現代音楽にも関わらず聴衆は身体を揺らしながら楽しんで聴いていた。日本にいた頃は「難解でよく分からない」「こんなの音楽じゃない」とのコメントを受けることが珍しくなかっただけに、現代音楽がヨーロッパの聴衆に求められ理解され大事にされているという事実は嬉しい発見だった。
最後にイタリアのある音楽家に言われた印象的な言葉を記したい。
「作曲家は構造を作り、音色は楽器製作者が作り、表現は奏者が作る」
言われてみるとイタリアではアントニオ・ストラディバリに代表されるように古くから優れた楽器製作者達が絶えず音色を開拓してきたし、奏者はオペラに代表されるようにドラマチックな表現を模索してきた。イタリアの音楽は良くも悪くも感情的と思われがちだが、実は音楽の各要素をそれぞれが分担し発展させてきた、ある種職人というかドライさを持った世界なのだということが見えてくる。おそらくこうした発想は他国にはなく、深い歴史と伝統を持ったイタリア独自のものだろう。
コロナ禍という特殊な状況も経験して習得した知識を今後日本の音楽界に還元できればと思っている。
3月には、留学当初より生活面や滞在許可証の書き方等いつも親身に手伝ってくださった恩人のお身内がコロナ・ウイルスの感染により亡くなられたことを知った。これほど死を身近に感じたことはなかった。スーパーへ出かけるだけでも外出理由を記入した用紙を持っていなければならず、日常生活もままならない苦しい状況が続いた。とは言えイタリア人は底力があり、しばらくするとベランダで毎日音楽や歌声が鳴り響くようになり、学校も早くも3月半ばにはオンライン授業をスタートさせた。驚いたのがイタリア人の何人もの友人がよく連絡をくれて「一人じゃないよ」「日々の生活は問題ない?」「あなたのために毎日お祈りしてるわ」と励まし続けてくれたことで、イタリア人は裏表のない素敵な人々だと改めて感じた。こうしたイタリア人の優しさがなければ僕は留学を続けられなかったかもしれない。
スカラ座の一階席に座れてわちゃわちゃしてる図
コロナ禍のため予定より早く留学を終え、帰国してしまったのは残念だったが、1年7ヶ月に渡る留学生活は本当に素晴らしい経験に満ち溢れていた。1年目からイタリアのみならずスペイン、オランダ、ポーランド、ドイツ、フランスの多くの都市の音楽祭に参加し、作品を発表することが出来たし、何よりレベルの高いヨーロッパの音楽環境に身を置けたことは今後の作曲家人生の大きな糧となる。ヨーロッパで過ごす中で感じたのは彼らがいかにクラシック音楽、もっと言えば現代音楽を大事にしているかだった。例えば私が留学していたミラノでは毎年2ヶ月間にわたって現代音楽祭「Milano Musica」が開催されており、スカラ座をはじめとしてミラノ中の劇場・ホール・美術館・プラネタリウムなどで公演が行われている。毎公演チケットが取れないほどの人気で、現代音楽にも関わらず聴衆は身体を揺らしながら楽しんで聴いていた。日本にいた頃は「難解でよく分からない」「こんなの音楽じゃない」とのコメントを受けることが珍しくなかっただけに、現代音楽がヨーロッパの聴衆に求められ理解され大事にされているという事実は嬉しい発見だった。
最後にイタリアのある音楽家に言われた印象的な言葉を記したい。
「作曲家は構造を作り、音色は楽器製作者が作り、表現は奏者が作る」
言われてみるとイタリアではアントニオ・ストラディバリに代表されるように古くから優れた楽器製作者達が絶えず音色を開拓してきたし、奏者はオペラに代表されるようにドラマチックな表現を模索してきた。イタリアの音楽は良くも悪くも感情的と思われがちだが、実は音楽の各要素をそれぞれが分担し発展させてきた、ある種職人というかドライさを持った世界なのだということが見えてくる。おそらくこうした発想は他国にはなく、深い歴史と伝統を持ったイタリア独自のものだろう。
コロナ禍という特殊な状況も経験して習得した知識を今後日本の音楽界に還元できればと思っている。
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