一時帰国
もう4月も半ば。時間が早すぎる。ここ数ヶ月は締め切り地獄で生活を振り返る余裕もなかった。留学を開始したのが11月だから半年で6曲書いたことになる。いや普通に辛かった。6つのうち2つは日本の演奏会用。残りはヨーロッパで演奏される作品達。ヨーロッパで自作がどう演奏され、聴かれるのかを知ることは留学の大事なテーマなので出来るだけ初演の機会を作っていきたい。ということで3月は半年ぶりに日本に一時帰国をすることに。そのために1、2月は死に物狂いで作曲していたのだがどうにも完成させることができず、東京行きの飛行機の中でも項垂れながら作曲をするはめに。
帰国後、ヨーロッパ被れ期間を一週間ほど体験(でも音楽のレベルの差はどうしようもないので日本はしょぼいなと思うのはしょうがないか)。ともかく東京では2作品が初演された。まだ半年とはいえイタリアで得た経験や学んだことがどれくらい音に現れるのかの中間テストのようで少しビクビクしながら準備を進める。
1作目はオーケストラのための小品『Kororokoro for orchestra』でSenju Lab.の企画の一環で初演。原曲は同じくSenju Lab.で初演されたフルート、ヴァイオリン、ハープの三重奏で3年前の作品をオーケストラ編成に改作。正直に言うとSenju Lab.は結構自分の中で黒歴史で(他の参加者が才能豊かなので)早々に辞めたかったのだが、義理で辞められずズルズルとここまできてしまった。もちろん良い思い出もあるのだけれど。
とはいえこの3年で僕にも少しは成長もあったと思うので、無個性だった三重奏をオーケストレーションで変えてやろうと結構頑張った。リハーサルではどうなることかと思ったが、本番では不思議なサウンドがして個性がきちんとあるなと感じられた。また、この公演では音楽とは関係ないところで少し事件があり日本には僕の生きた20数年(善も悪も含め)があるのだと実感する。最終的には良い方向に向かっただろうか。。。
2作目はパフォーマーとアンサンブル、電子音のための作品『On hearing the yellow wind.... for Performer, 6 musicians and electronics』クマエキシビション内で初演。クマエキシビションとは若手クリエイターを支援するクマ財団が1年に1回成果発表として奨学生に好きなように作品発表を行わせてくれる場だ。ありがたいことにクマ財団には2年間も支援していただいた。改めて感謝を申し上げたい。クマ財団は幅広いクリエイター、音楽、美術、テクノロジー、映画.....etc. を奨学生として採用しており、(いい意味で)売れている作家やメディア受けする作家達との関わり合いは内にこもりがちなクラシック畑の自分に大きな刺激があった。クマ財団で過ごした時間がなければ今作は書けなかった。
この作品はミラノで得た経験と空気感を思う存分出そうと書いた作品。作品内で用いられる環境音はミラノの町中を散歩、録音して集めた思い出の音。以下どこにも掲載できなかったプログラムノート笑↓
せっかくなので初演時の動画も以下に↓お時間ありましたら是非。
奏者達は短い準備期間の中で懸命に音楽を作ってくれた。本当にありがとう。残念ながら初演時僕は客席で聴けなかったが終演後の聴衆とホールの感じではうまくいっていたようだ。留学の頑張りは少しは曲に出ていただろうか。帰り際に親友が「勉強の拠点を変えてることが顕著に出ていた」と言ってくれたのは素直に嬉しかった。後日、この親友のリートの演奏会に出かけたが、去年とは違う新たな表現世界が始まっており今後がとても楽しみになった。もう11年の付き合い。
作曲家はどこで生きていくべきなのか。これはとても難しい問題。世界はアクセスしやすくなったし、ヨーロッパは来て半年の僕にも初演機会を提供してくれる。ただ、その初演はセミナー内やコンクール等がほとんどで実際本当の意味でやりたい作品をできているのかは疑問だ。やはり多少なりとも見栄や、作戦といった雑音が入ってしまうから。今回、東京での2作品の初演を通してイタリアでの半年の成果を試すことはもちろん、やはり母国は(現代音楽の土壌はないとしても)作曲家として自由に活動できる場であるし、その意味で可能性がないわけではないと思えた時間となった。+自分の中での大きな変化は「自分がしたいことを誰に構わず好きにやろう」と思える心が持てたこと。クラシックの未来がどうだ、伝統がどうだ、今後の音楽界がどうだ、ライバルがどうだとがんじがらめになっていた過去の思いは消えていた。
そうそう。最後に思ったのはやはり家族の偉大さ。相変わらず演奏会には遠くから来てくれるし、出国の際も家族で見送りに来てくれる。これほど親身になって100%応援してくれる家族は他にいるのだろうか。留学を開始する時は今後の不安と寂しさで泣いていたが、今回は嬉し泣きで東京を発つ。
マルペンサ空港の前で。空港内でのイタリア語が完璧で嬉しかった。
1作目はオーケストラのための小品『Kororokoro for orchestra』でSenju Lab.の企画の一環で初演。原曲は同じくSenju Lab.で初演されたフルート、ヴァイオリン、ハープの三重奏で3年前の作品をオーケストラ編成に改作。正直に言うとSenju Lab.は結構自分の中で黒歴史で(他の参加者が才能豊かなので)早々に辞めたかったのだが、義理で辞められずズルズルとここまできてしまった。もちろん良い思い出もあるのだけれど。
奏楽堂でのリハーサル時の様子
2作目はパフォーマーとアンサンブル、電子音のための作品『On hearing the yellow wind.... for Performer, 6 musicians and electronics』クマエキシビション内で初演。クマエキシビションとは若手クリエイターを支援するクマ財団が1年に1回成果発表として奨学生に好きなように作品発表を行わせてくれる場だ。ありがたいことにクマ財団には2年間も支援していただいた。改めて感謝を申し上げたい。クマ財団は幅広いクリエイター、音楽、美術、テクノロジー、映画.....etc. を奨学生として採用しており、(いい意味で)売れている作家やメディア受けする作家達との関わり合いは内にこもりがちなクラシック畑の自分に大きな刺激があった。クマ財団で過ごした時間がなければ今作は書けなかった。
スパイラルホールでのリハーサル時の様子
'「窓」をコンセプトとして作曲を行った。作品内では以下のように「窓」=エレクトロニクス(環境音)を開けるたびに、異なった「世界」=シーンが外に現れる。
環境音1 → 窓を閉める
シーン1 → 窓を開ける
環境音2 → 窓を閉める
シーン2 → 窓を開ける......etc.
窓の外には3つの異なった「世界」=「時間の流れ」=「音楽」が設定されており、それは特に用いるテキストとパフォーマーの役割によって特徴付けらる。
シーン1: イタリア語詩 & 歌唱
シーン2: 平家物語 & 朗読
シーン3: 器楽的な声の使用 & Body Percussion
文化、土地、時代によって異なる、多様な時間感覚を単一の時間軸内で絡ませていくことで最終的に1つのフォルムを見出せないかを模索した。'
- Structure -
Book I
Record1 - City I | Prologue & Scene1 - Bianco | TriggerA |
Record2 - Babel | Scene2 - Story | Record3 - City II | Scene3 - Desk | Record4 - Train |
Interlude
TriggerB - Rabbit | Fantasia - Improvisation | R5 - Church |
Book II
S4 - Desk | TriggerA’ | TriggerB’ - Rabbit | S5 - Bianco | R6 - Train | S6 - Story | R7 - Pipo & City III |
作曲家はどこで生きていくべきなのか。これはとても難しい問題。世界はアクセスしやすくなったし、ヨーロッパは来て半年の僕にも初演機会を提供してくれる。ただ、その初演はセミナー内やコンクール等がほとんどで実際本当の意味でやりたい作品をできているのかは疑問だ。やはり多少なりとも見栄や、作戦といった雑音が入ってしまうから。今回、東京での2作品の初演を通してイタリアでの半年の成果を試すことはもちろん、やはり母国は(現代音楽の土壌はないとしても)作曲家として自由に活動できる場であるし、その意味で可能性がないわけではないと思えた時間となった。+自分の中での大きな変化は「自分がしたいことを誰に構わず好きにやろう」と思える心が持てたこと。クラシックの未来がどうだ、伝統がどうだ、今後の音楽界がどうだ、ライバルがどうだとがんじがらめになっていた過去の思いは消えていた。
そうそう。最後に思ったのはやはり家族の偉大さ。相変わらず演奏会には遠くから来てくれるし、出国の際も家族で見送りに来てくれる。これほど親身になって100%応援してくれる家族は他にいるのだろうか。留学を開始する時は今後の不安と寂しさで泣いていたが、今回は嬉し泣きで東京を発つ。
@成田空港
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