MILANO MUSICA Vol.2
あっという間に12月も半ば。最近はイタリアの目新しさも減り、ブログにも飽きてきたが笑、行った演奏会についてはきちんと書いておきたい。
約1ヶ月半続いた現代音楽祭 'MILANO MUCICA' が終わった。最後の演奏会は声楽アンサンブル団体 'Les Cris de Paris' による中世、ルネサンスの声楽作品から P. ペレッツァーニによる新作、クルタークなどの現代音楽までを結ぶ、イタリアの歴史のある音楽文化を総括するような音楽祭を締めるにふさわしいプログラムだった。僕はこれまで中世、ルネサンス音楽に技術的な興味はあったもののそれほど音楽を感じる楽しみ方はしてこなかった。しかし美しいサン・マルコ教会で聴く声楽作品は音のその先を、イマジネーションの原石に触れるような深遠な世界を堪能できた。毎晩ワクワクしながら次のプログラムを確認し、現代音楽を楽しんだ夢のような時間を自然と振り返りながら演奏を聴き終え、切なさを感じながら教会を後に。
さてVol.1に引き続き、Vol.2では11月の演奏会を振り返りたい。11月は以前取り上げたムナーリ劇場での 'Circus musical drama' からはじまった。11月は電子音、劇場性を伴った作品が印象に残ることが多かった。また、おそらく音楽祭の目玉公演だったであろうクルタークの新作オペラは正直かなり厳しい作品だった。これは年齢的にもしょうがないことなのでこれ以上は書かない。以下各演奏会について。
・11/12 @サン・フェデーレホール
ギター奏者 F. ザーゴによるエレキギターと電子音響の新作、J. ケージにも賞賛された P. バスティエンによるパフォーマンスを聴く。まず驚いたのが会場であるサン・フェデーレ劇場が電子音響専用の空間だったことだ。ホールと一体となってスピーカーが設置されておりいつでもここでは電子音響の作品を発表可能だ(実際年間通して電子音楽の演奏会、セミナーが開かれる)。F. ザーゴの作品はクルタークのバッハ編曲を元に作曲されており、エレキギターのドローン奏法の上で過去作品の引用という形でバッハの音が遠くから聴こえてくる。地味だが作曲者の意図通り時間を超えるような感覚を味わえて好感を持った。一方 P. バスティエンのパフォーマンスはモータ回転で響く独自の楽器、録音、白黒ビデオを用いて独自の世界を提示する。こうした音を遊ぶ、音を楽しむという姿勢は日本では(もちろん日本でも行われてはいるが)なかなか聴くことが出来ないもので何が彼らと自分たちは違うのかと考えさせられる。同級生のシモーネも相当に気に入ったようで僕たち何できるかな、なんて話しながら帰宅。
・11/18 @ジェローラモ劇場
ソプラノ、ヴァイオリン、ツィンバロン、コントラバスによる珍しい演奏会。クルタークはハンガリー人だけあってオーケストラ内でもツィンバロンをよく用いる。珍しい音色という意味にとどまらず身体性含めこれほどツィンバロンの魅力を引き出した作曲家は他にいないのでは?クルタークの音楽観は現代音楽の中でも異質な存在だが、特にこのコンサートではある種、古典を聴くような、民謡を聴いているような錯覚を覚えた。クルタークは真新しさではなく音楽性でもって前衛の時代の中でも成功した稀有な作曲家だと思う。
・11/19 @スカラ座
RAI放送響の現代音楽企画。H. ホリガー指揮、P-L.エマールによるピアノでリゲティのピアノ協奏曲、クルタークのいくつかのピアノ独奏曲、後半はバルトークの『オーケストラのための協奏曲』。リゲティ練習曲の録音といえばエマール盤かウレーン盤かというくらいリゲティ弾き?の地位を築いた彼の協奏曲をワクワクしながら聴く。ん・・・テンポが遅い・・・・元々エマールはテクニカルな魅力を持った、というより和音や間で聴かせるピアニストなので彼にとってはこれがベストテンポなのかもしれない。ただそれによってこの曲の持つハキハキ感が後退してしまったことは否めないが、やはりそこはエマール。涼しい顔でサラッとツボを抑えながら聴かせてくれる。RAIの選抜アンサンブルメンバーもとても健闘していたと思う。クルタークの小品はエマールが現代ピアノ弾きにとどまらないある種巨匠的な表現を聴かせてくれた。
後半の『オーケストラのための協奏曲』はホリガーの生き生きした、正に音楽的な指揮ぶりが印象的。この人は本当に真の音楽家だ。しかも前見たときより指揮能力が向上している。恐るべし。ちなみにこの公演にはポリーニが来ていたそう。
・12/23 @ピレリハンガー美術館
この演奏会には驚かされた。'MILANO MUCICA' でも最高の、いやこれまでの人生最高の音楽体験ができた。おそらくこの日のメインは打楽器アンサンブルによる新曲3曲だったと思うが、残念ながらどれもこれも同じ奏法を用い、何より同じテクスチュアを意味もなく続ける、ああOM使って書いたんだろうなという面白くない作品だった。しかし途中に挟まれた1984年生まれの D. ギーシ作曲の声とライブエレクトロニクスのための『This is the Game (2018)』は、ライブエレクトロニクスであるとか録音再生であるとかを超えて非常に新鮮で新しい音楽世界を提示していた。もっと具体的に内容を書きたいのだが、この作品についてどうだったかと言葉で書くことが出来ない。それくらい感動に打ち震えた。現代音楽が現代と結びつかない、むしろ古臭い音楽となってしまった業界の中で、文字通り今だから表現できる、今だから聴ける作品に出会えたことは非常に幸運だった。この若さでこれほどのファンタジー世界を描ける才能と能力に驚く。やはり世界にはすごいクリエイターがいるものだ。
・11/24 @ピレリハンガー美術館
前日の興奮冷めやらない中、翌日再びピレリハンガー美術館へ。この美術館は質の良い現代アートを無料で人々に提供する場だ。演奏会後は美術館を回った。
プログラムはクルタークの代表作、そして今年の 'MILANO MUCICA' のテーマにもなっているピアノ独奏作品『Játékok』を指揮者であり作曲家の O. クーンデによるオーケストラ編曲で聴く。演奏は14歳までの学生達で構成されるPasquinelli Young Orchestraによるもの。O. クーンデ自らが指揮をしていたが、このオーケストラが素晴らしかった。心から現代音楽を楽しみ演奏する子どもたち。学生オーケストラとは思えない深い表現がたくさん聴こえてきた。それは高いレベルで表現と教育とが結びついた指揮者、指導者の熱意の賜物なのだろう。現代音楽をどう伝えるのか、誰が伝えるのかというのは非常に大事な問題と思う。
そうそう毎回チケット売り場のお姉さんが「いっつも定員ギリギリに入ってるからチケット予約するといいわよ」と2、3回言われていたので最後のコンサートは予約をした。手数料で1ユーロ取られたが、その日のお姉さんの興奮が忘れられない。「テツ〜オ!!!ついにあなたは予約してくれたのね!!!」周りのスタッフにまで喜びを伝えてチケット売り場は変な感じになっていた。1ユーロでこれだけ喜んでくれたなら悔いなし。 'MILANO MUCICA' 本当に楽しかった。また来年!!ありがとう。
約1ヶ月半続いた現代音楽祭 'MILANO MUCICA' が終わった。最後の演奏会は声楽アンサンブル団体 'Les Cris de Paris' による中世、ルネサンスの声楽作品から P. ペレッツァーニによる新作、クルタークなどの現代音楽までを結ぶ、イタリアの歴史のある音楽文化を総括するような音楽祭を締めるにふさわしいプログラムだった。僕はこれまで中世、ルネサンス音楽に技術的な興味はあったもののそれほど音楽を感じる楽しみ方はしてこなかった。しかし美しいサン・マルコ教会で聴く声楽作品は音のその先を、イマジネーションの原石に触れるような深遠な世界を堪能できた。毎晩ワクワクしながら次のプログラムを確認し、現代音楽を楽しんだ夢のような時間を自然と振り返りながら演奏を聴き終え、切なさを感じながら教会を後に。
サン・マルコ教会にて
・11/12 @サン・フェデーレホール
ギター奏者 F. ザーゴによるエレキギターと電子音響の新作、J. ケージにも賞賛された P. バスティエンによるパフォーマンスを聴く。まず驚いたのが会場であるサン・フェデーレ劇場が電子音響専用の空間だったことだ。ホールと一体となってスピーカーが設置されておりいつでもここでは電子音響の作品を発表可能だ(実際年間通して電子音楽の演奏会、セミナーが開かれる)。F. ザーゴの作品はクルタークのバッハ編曲を元に作曲されており、エレキギターのドローン奏法の上で過去作品の引用という形でバッハの音が遠くから聴こえてくる。地味だが作曲者の意図通り時間を超えるような感覚を味わえて好感を持った。一方 P. バスティエンのパフォーマンスはモータ回転で響く独自の楽器、録音、白黒ビデオを用いて独自の世界を提示する。こうした音を遊ぶ、音を楽しむという姿勢は日本では(もちろん日本でも行われてはいるが)なかなか聴くことが出来ないもので何が彼らと自分たちは違うのかと考えさせられる。同級生のシモーネも相当に気に入ったようで僕たち何できるかな、なんて話しながら帰宅。
P. バスティエンの摩訶不思議な自作楽器
ソプラノ、ヴァイオリン、ツィンバロン、コントラバスによる珍しい演奏会。クルタークはハンガリー人だけあってオーケストラ内でもツィンバロンをよく用いる。珍しい音色という意味にとどまらず身体性含めこれほどツィンバロンの魅力を引き出した作曲家は他にいないのでは?クルタークの音楽観は現代音楽の中でも異質な存在だが、特にこのコンサートではある種、古典を聴くような、民謡を聴いているような錯覚を覚えた。クルタークは真新しさではなく音楽性でもって前衛の時代の中でも成功した稀有な作曲家だと思う。
ジェローラモ劇場にて
RAI放送響の現代音楽企画。H. ホリガー指揮、P-L.エマールによるピアノでリゲティのピアノ協奏曲、クルタークのいくつかのピアノ独奏曲、後半はバルトークの『オーケストラのための協奏曲』。リゲティ練習曲の録音といえばエマール盤かウレーン盤かというくらいリゲティ弾き?の地位を築いた彼の協奏曲をワクワクしながら聴く。ん・・・テンポが遅い・・・・元々エマールはテクニカルな魅力を持った、というより和音や間で聴かせるピアニストなので彼にとってはこれがベストテンポなのかもしれない。ただそれによってこの曲の持つハキハキ感が後退してしまったことは否めないが、やはりそこはエマール。涼しい顔でサラッとツボを抑えながら聴かせてくれる。RAIの選抜アンサンブルメンバーもとても健闘していたと思う。クルタークの小品はエマールが現代ピアノ弾きにとどまらないある種巨匠的な表現を聴かせてくれた。
後半の『オーケストラのための協奏曲』はホリガーの生き生きした、正に音楽的な指揮ぶりが印象的。この人は本当に真の音楽家だ。しかも前見たときより指揮能力が向上している。恐るべし。ちなみにこの公演にはポリーニが来ていたそう。
終演後の巨匠ホリガー
この演奏会には驚かされた。'MILANO MUCICA' でも最高の、いやこれまでの人生最高の音楽体験ができた。おそらくこの日のメインは打楽器アンサンブルによる新曲3曲だったと思うが、残念ながらどれもこれも同じ奏法を用い、何より同じテクスチュアを意味もなく続ける、ああOM使って書いたんだろうなという面白くない作品だった。しかし途中に挟まれた1984年生まれの D. ギーシ作曲の声とライブエレクトロニクスのための『This is the Game (2018)』は、ライブエレクトロニクスであるとか録音再生であるとかを超えて非常に新鮮で新しい音楽世界を提示していた。もっと具体的に内容を書きたいのだが、この作品についてどうだったかと言葉で書くことが出来ない。それくらい感動に打ち震えた。現代音楽が現代と結びつかない、むしろ古臭い音楽となってしまった業界の中で、文字通り今だから表現できる、今だから聴ける作品に出会えたことは非常に幸運だった。この若さでこれほどのファンタジー世界を描ける才能と能力に驚く。やはり世界にはすごいクリエイターがいるものだ。
ピレリハンガー美術館は元は倉庫だったようで広いスペースを使った美術作品の中で演奏会は行われた
前日の興奮冷めやらない中、翌日再びピレリハンガー美術館へ。この美術館は質の良い現代アートを無料で人々に提供する場だ。演奏会後は美術館を回った。
そうそう毎回チケット売り場のお姉さんが「いっつも定員ギリギリに入ってるからチケット予約するといいわよ」と2、3回言われていたので最後のコンサートは予約をした。手数料で1ユーロ取られたが、その日のお姉さんの興奮が忘れられない。「テツ〜オ!!!ついにあなたは予約してくれたのね!!!」周りのスタッフにまで喜びを伝えてチケット売り場は変な感じになっていた。1ユーロでこれだけ喜んでくれたなら悔いなし。 'MILANO MUCICA' 本当に楽しかった。また来年!!ありがとう。
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