MILANO MUSICA Vol.1

10月から2ヶ月間ミラノで開催されている現代音楽月間? MILANO MUSICA。10月最後の演奏会が終わったので少し思ったことをまとめたい。ちなみに今年のテーマはS. ベケット。20世紀の最重要作家と現代作曲家、特にG. クルタークとの関係性、音楽文化、作品を扱っていく。


いきなり話が逸れるが、今僕はかなり落ち込んでいる。もちろん色々な意味で差を感じることはいい。留学とはそういうものだ。ただ圧倒的な差を見せられた時、人はどうしていくべきなんだろう。ここでいう差というのは日本とイタリアの現代音楽の環境の話。逆に僕個人はおそらく、少なくとも「書く能力」に限ればそれなりに勝負はできるように感じている(というか僕に限らず、個々人のレベルでは誰しもが世界で活躍できる可能性があると信じる)。
日本にいる頃僕は「ヨーロッパほどでないにしろ日本も現代音楽は活発。ヨーロッパといったって現代音楽は人気ないし状況はどこも一緒でしょ。」と割と本気で思っていたし、オランダやドイツの現代音楽祭に行ってもその考えは変わらなかった(今思えば強がりだったのか?)。もちろん日本のクラシックの環境に対して問題意識は常に持っていたし今回留学したのもその答えを求めてのことだった。

結論から言うとMILANO MUSICA、本当に本当に素晴らしい。取り上げられる作品はいいし、演奏は素晴らしいし、何より聴衆が本当に楽しんでいることがわかる。特にミラノの聴衆はよほど現代音楽が好きなんだろうか。毎回演奏会は混雑しているし終演後あの曲がどうだったこの曲はあんまりなど嬉々として会話し合っている。会場の好奇心につられて演奏もまた熱を帯び、素晴らしい音楽体験が波及していく。僕もまさかリゲティの室内協奏曲で涙が出るとは思わなかった。

終演後

プログラムの裏に掲載された数多くの協賛企業、考え抜かれたテーマとプログラミング、町中でイベントを行う企画力、同世代の新作の多さ、現代音楽をまるで普通のレパートリーかのように当たり前に表現する演奏家達、いつも賑わい活気のある演奏会会場、心から楽しむ聴衆・・・・・嘘みたいな本当の話。それも現代音楽の中心地でもなく経済難に苦しむイタリアでの話だ。気が遠くなるほど、想像を超えた良い環境。

クルタークがこれほど偉大な作曲家だったとは。

環境を整えれば日本の現代音楽はもっと面白くなると信じてこれまでやってきたが、こうした現実を知った後、日本で一体何ができるというのだろうか。実際したところで何か意味があるんだろうか。正直「日本は遅れてるなあ」とかそんな生易しいものではない。真正面から「無理です」と言われている感覚。日本の演奏についてはよく分からないが、少なくとも現代音楽に関してヨーロッパと日本の状況は段違いに思う。日本は現代音楽をやるにはあまりに環境が不利だ。もっともこうした話も今更かと先人の作曲家達に笑われてしまうかな。

誤解されたくないのだが僕は日本が大好きだ。日本にいる間、日本の音楽界に本当に手をかけて育ててもらったと思うし、たくさんかけがえのない経験をたくさん積ませてもらった。だから段違いとか無理とか本当は思いたくない。自分のこれまでを否定することにもなるわけだし。だけれどそれが現実。

嬉しいこともあって、この音楽祭で武生国際音楽祭で師事したF. ガルデッラ教授に久しぶりに再開することができた。3年前にイタリアでまた会おうと約束していたことをシミジミと思い出す。ちなみに現代音楽好きは基本的にオタクなのか、その作曲家知ってるのか!で急に壁がなくなったりする(ここは日本と変わらず)から面白い。あなたのおかげでイタリア人の友達ができました。ありがとうロミテッリm(-_-)m

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