いざイタリア
3年かけてようやくイタリア、ミラノへの留学が決まった。忘れもしない秋吉台作曲セミナーで出会った恩師とのたかだか数時間、いや数十分の会話で人生は大きく動き出したりするから面白い。この3年間というのはあっという間ではあったが、留学へ向けて非常に濃密な時間を過ごせたと思う。支えてくれた家族、恩師、友人に心の底から感謝したい。
しかし先月のミラノ音楽院の入試はおそらく自分史上最高に緊張する1ヶ月だった。というのももし受からなかった場合、単純に恥ずかしいとか師匠に顔向けできないというのはもちろん、ようやく掴んだ文化庁新進芸術家海外研修制度研修員の資格も取り消し、同時にクマ財団の奨学生も首になってしまうという危なすぎる橋を渡っていたからだ。何はともあれ入学できて本当によかった。そういえば結果を見たときは生まれてはじめて過呼吸になったっけ(笑) 入試についてはまた改めて書きたい。
ということで、せっかくの海外での2年間。備忘録としてブログを書くことにした。煩わしいイタリアでの手続きや、日々気づいたこと、演奏会についてなど気ままに書いていこうと思う。
しかし先月のミラノ音楽院の入試はおそらく自分史上最高に緊張する1ヶ月だった。というのももし受からなかった場合、単純に恥ずかしいとか師匠に顔向けできないというのはもちろん、ようやく掴んだ文化庁新進芸術家海外研修制度研修員の資格も取り消し、同時にクマ財団の奨学生も首になってしまうという危なすぎる橋を渡っていたからだ。何はともあれ入学できて本当によかった。そういえば結果を見たときは生まれてはじめて過呼吸になったっけ(笑) 入試についてはまた改めて書きたい。
これがミラノ音楽院の入り口↑
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